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メンデルスゾーンってどんな人??|沼津店
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メンデルスゾーンが今年、没後175周年を迎えたことをご存じですか?
2022年残りわずかですが、今回はメンデルスゾーンについてご紹介していきたいと思います。
メンデルスゾーン
名前:ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ
出身地:ドイツ ハンブルク
生年月日:1809年2月3日
死亡年月日:1847年11月4日(享年38歳)
メンデルスゾーンの生涯
北ドイツのハンブルクにて、ユダヤ系の両親のもとに誕生。
早くからピアノやヴァイオリンを習い、恵まれた環境の中で才能を育んでいきました。
1818年(9歳)でピアニストとしてデビューをし、その後、1819年(10歳)でツェルターから作曲を学びます。
※4年で100作を超える作品を生み出す。
1823年(14歳)で自作曲の初出版、ピアノ曲、歌曲、ヴァイオリン曲など、多くの作品が相次いで出版されていきます。
※16歳の作品《弦楽八重奏曲》や翌年の《夏の夜の夢》序曲が代表作となる。
1829年(20歳)にはバッハ死後初 の《マタイ受難曲》の復活上演を成功させ、イギリスをはじめヨーロッパへ演奏旅行へ。
※マタイ受難曲は約100年ぶりの上演
1833年(24歳)デュッセルドルフの音楽監督、1835年(26歳)ライプツィヒ・ゲヴァントハウス・オーケストラの5代目指揮者に就任をします。
1841年(32歳)プロイセン王からの要請を受け、ベルリンでの仕事も兼任するようになり、ドレスデンのザクセン王室楽長にも就任。1842年(33歳)プロイセン音楽監督に就任。
1843年(34歳)ライプツィヒ音楽院を開校。自身も作曲とピアノを教えます。
1844年(35歳)ベルリンから完全に離れ、1年間保養地で静養しながら作曲を行っていきます。その後、ライプツィヒに定住し指揮者の仕事や作曲を行います。
1847年(38歳)ゲヴァントハウス・オーケストラの指揮者を引退し、イギリス10回目の演奏旅行へ。
姉の急逝の報せにショックを受け、スイスで静養をするが、ライプツィヒに帰国後、10月9日に突然の発作で倒れ、
10月末に昏睡状態に入り、11月4日に死去。
代表曲
♪結婚行進曲
♪無言歌集
♪ヴァイオリン協奏曲 ホ短調
やさしいピアノソロ クラシック名曲
デプロミュージック出版
クラシックを弾きたくて3
KMP出版
全音楽譜・ウィーン原典版、音楽之友社などさまざまなところで出版されています。
初心者さん向けの楽譜も出ておりますので、クラシック曲も挑戦してみませんか??
メンデルスゾーンはユダヤ人だったため、人種差別を受けてきたとされています。
また、第一次世界大戦・第二次世界大戦が勃発し、ユダヤ人であったメンデルスゾーンの存在や作品が貶められていきます。
ナチス統制下でメンデルスゾーンの楽曲の演奏は禁じられ、「メンデルスゾーンは音楽の歴史における危険な『事故』として出現したもので、彼が決定的に19世紀のドイツ音楽を『退廃的』にした張本人である」とまで評されました。ライプツィヒにあった彼の銅像は1936年に撤去され、再び代わりの像が建てられたのは2008年のことです。
ここ50年ほどでようやくメンデルスゾーンの楽曲を正当に評価する動きが生まれ、現在メンデルスゾーンの作品は「古典派音楽のバランスの良さ」と「劇的で自由なロマン派音楽の良さ」を兼ね備えた独自の美しさが再評価されています。
これを機にメンデルスゾーンの曲に触れてみませんか??
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